気がつけば、少しずつ消えていく町、家々、そして路地。 場所がなくなれば、そこに生きた人びとの共同の記憶は、どこへ行ってしまうのだろう。
けれども、古い町のアスファルトの下には、 もうひとつの町「寺町」が眠っている。 人の心の底にしまいこまれている「気の遠くなるほどの記憶」は、今も続いている。
前橋市三河町。人びとから「寺町」と呼ばれる町。 三本の川と、八間の広小路に囲まれ、 中心の盾となり、端となってきた場所。 その縁に建つ、編み物学校だった、68年前の古いビルと、 すぐ近くにある、少し若い家。
ここから、またはじめる。
おしらせ
news
おもい
Vision
1960.03 第一回夜間部 卒業式
『ほどく』 — まちづくりから まちほどきへ —
こわばったものを、もう一度ゆるめる。 分けられたものを、いったん混ぜる。 整えられたものを、あえて崩す。
『つくろう』 — つかいながら まもっていく —
作ることは、新しく建てることだけではない。 使いながら、守っていくこと。 目に見えないところで、じわじわと働くものがある。 ワラジムシやミミズが、土を耕すように。 腐葉土が、次の森を準備するように。
『あみなおす』 — 街はいま、劇場になりたがっている —
かつてこの町には、いくつもの劇場があった。 野天の舞台。ようやく屋根の上がった芝居小屋。 人が集まり、声を交わし、身体を震わせ、 演者と観る者が、同じ天を戴いていた場所。
寺町藝術センターは、 ほどきながら、つくろいながら、あみなおし続ける、 終わらない途中の場所。
わからないまま、ここにいる。 それだけで、すでに何かが、動きはじめます。
『ほどく』
こわばったものを、もう一度ゆるめる。 分けられたものを、いったん混ぜる。 整えられたものを、あえて崩す。
町は、つくられすぎた。 都会と田舎。役に立つものと、無駄なもの。 強いものと、弱いもの。大きいものと、小さいもの。 明るいものと、暗いもの。触れるものと、触れられないもの。 聞こえる声と、消される声。見えるものと、見えないもの….
そうやって整理された世界は、 いつのまにか、とても息苦しくなっていた。
だから、ほどく。 場所をほどき、関係をほどき、意味をほどく。
すると、〈あいだ〉が現れる。 かつて町だった場所。混ざりあっていた場所。 まだ名前のない、ゆるやかな場所が。
『つくろう』
作ることは、新しく建てることだけではない。 使いながら、守っていくこと。 目に見えないところで、じわじわと働くものがある。 ワラジムシやミミズが、土を耕すように。 腐葉土が、次の森を準備するように。
壊れること。崩れること。古くなること。 それらを排除せず、むしろ受け入れる。 「あるがまま」のなかに、更新がある。 倒れた老木の上に、風が通り、 木漏れ日が、また差しはじめるように。
異なるものが、混ざりあい、 すこしずつ反発し、すこしずつ関係する。 その摩擦のなかで、また何かが生まれる。
『あみなおす』
かつてこの町には、いくつもの劇場があった。 野天の舞台。ようやく屋根の上がった芝居小屋。 人が集まり、声を交わし、身体を震わせ、 演者と観る者が、同じ天を戴いていた場所。 旅をする者たちが来て、語り、踊り、去っていった。 マレビト。どこからともなく現れ、また消えていく者たち。
その気配が、まだ消えないうちに、 共同の記憶を手がかりに、 ばらばらのものを、ばらばらのまま、編み直す。
それは、ひとつにまとめることではない。 むしろ、ほどけながら続いていく関係。
目的は、まだない。 用途も、決まっていない。 誰のものでもない。 だから、何かが起こる。 その「弱さ」が、希望をたたき起こす。
ばしょ
Place
地階 : アーカイブ
一階 : 小劇場『百劇』
二階 : ギャラリー / スタジオ
三階 : スタジオ / ライブラリー
四階 : AIR レジデンス
(地上四階地下一階 / 築68年)
〒371-0015 前橋市三河町一丁目一番地
teragei.com
BnA noie
1F : ギャラリー / スナック[3 / SUN]
2F : アートホテル
3F : レジデンス
(地上三階 / 築 50年)
〒371-0015 前橋市三河町一丁目九番地
bna-hotel.com
二棟は、すぐそばの「ビル」と「いえ」。制作と滞在。発信と受容。 それぞれが、互いを補い、互いに変えていく。
ビルの四階で話し、三階で手を動かし、二階で向き合い、一階で声を放ち、地階に記憶をしまい。いえでつくり、眠る。
寺町藝術センターは、ひとつの生態系である。
作品はここで「つくられる」のではなく、育ち、巡り、現れる。
つくる
making place
『日本施行家協会』
— 建築を、ほどき つくろい あみなおす —
『日本施行家協会』は、
建築・施工・デザイン・アートを横断するコレクティブです。
設計する人でも、発注する人でもなく、
自らの手で場所に働きかける人たち。
ここでの 建築は、完成するものではなく、
つづいていくプロセスです。
建築になりきらない
状態を肯定する。
完成しないまま、
つづいていく建築。
① 回復性 — 修繕しながら 生きつづける —
壊さない / 捨てない。
あるものを生かし、手を入れつづける。
② 物語性 — 未完成でありつづけること —
完成よりも過程。
建築は問いとして立ち上がる。
③ 相補性 — 関係のなかで成立する —
二つの現場が循環する。
建築は関係のなかで変わりつづける。
設計図よりも先に、
現場があります。
『日本施行家協会』
— 建築を、ほどき つくろい あみなおす —
『日本施行家協会』は、建築・施工・デザイン・アートの領域を横断する、新しいかたちのアート・コレクティブです。
ここで言う「施行家(せこうか)」とは、設計する人でも、発注する人でもなく、自らのと判断で、場所に直接はたらきかける人のことです。職能の境界を越え、企画と現場を往還しながら、建築というプロセスそのものに関わる人びとを、私たちはそう呼びます。
現在、群馬県前橋市の寺町(三河町)に残る2棟の建物を同時に修復する《寺町藝術センター計画》を進めています。かつて人と商いが行き交ったこの街なかで、空き家となった建物に、ふたたび時間を流しはじめるプロジェクトです。
このプロジェクトは、利用者、施工家、建築家、デザイナー、アーティスト、そして地域の人びとが、それぞれの視点と手を持ち寄り、場所そのものを少しずつ編みなおしています。
それは、完成へと収束する建築ではなく、使われることで変わり、関わることで更新されつづける、「プロセスとしての建築」です。建築を"つくるもの"から、"生きつづけるもの"へと捉え直す試みです。
『回復性』 Resilience
— 修繕しながら 生きつづける —
「壊さない / 捨てない」。すでにあるものを生かしながら、少しずつ手を入れていく。セルフビルドやハーフビルド、素材の再利用を基調とし、「壊れ」や「欠け」を欠陥ではなく、時間の痕跡として引き受ける。
配管や構造をあえて隠さず表に出す「インサイドアウト」の態度は、建築を閉じた完成品から、開かれた過程へと反転させます。それはまた、建築をひとつの生態系として捉え、管理された秩序の外側にある、もっと自律的な時間の流れへと接続していく試みでもあります。
『物語性』 Narrative
— 未完成でありつづけること —
ここでは、完成よりも過程を大切にします。出来上がったものではなく、いま起きていることそのものを引き受ける態度。出会いや出来事によって更新されつづける、開かれた構造。建築は、答えではなく、「問いかけ」として立ち上がります。
たとえば、正面ファサードのプロジェクト「建築人間 : 28窓のカーテンウォール / 28-window curtain wall」は、ひと色になりがちな街の風景に抗い、風や光、時間の揺らぎを受け取りながら、色とりどりのカーテンが、場所の状態を日々書き換えつづけます。
『相補性』 Complementary
— 関係のなかで、はじめて成立するもの —
re-use は、re-creative でもある。
2棟の現場が同時に進行し、素材も思考も往還する「二現場循環」。それぞれが独立して完結するのではなく、互いに補い、互いに影響しあいながら変化していく。建築は単体として完成するのではなく、人・時間・場所の関係のなかで、はじめて立ち現れます。
『日本施行家協会』は、前橋・寺町を起点に活動する実践的なコレクティブです。設計図よりも先に、現場があります。
みる
小劇場『百 劇』
「街はいま、劇場になりたがっている」
どこにいても世界とつながれる今だからこそ、
私たちは「ここでしか起きないこと」を信じたい。
わずか58席。逃げ場のない距離で、同じ空気を吸い、身体を震わせる。
かつてこの地にあり、百年の目前で失われた伝説の舞台。
その気配を現代に引き継ぎ、新たな「百年」をここから始めていきます。
寺町藝術センター : 小劇場『百劇』
「街は、いますぐ劇場になりたがっている」寺山修司
いま、世界はあまりにも「遠く」なってしまった。 どこへでもつながれるはずなのに、どこにも触れられない。街に言葉は増え、映像は溢れているのに、身体は置き去りにされ、「ここでしか起きないこと」は、急速に失われている。
寺山修司が夢見たのは、劇場という建物ではなく、街そのものが劇になる瞬間だった。人が、偶然に、同じ時間と場所に居合わせてしまう。その不意打ちのなかに、演劇の核心があった。
演劇は、不器用な芸術だと思う。同じ時間、同じ場所に、人が集まらなければ成立しない。やり直しも効かず、保存も難しい。しかしだからこそ、演劇のある場所には「いま・ここ・この身体」が残されている。
『百劇』は、58席しかない。 それは制約ではなく、意志である。
58人という数は、匿名が成立しない限界であり、同時に、関係が立ち上がる最小単位でもある。その小ささは、密度を生む。同じ空気を吸い、逃れられない距離で、他者の声や沈黙にさらされる。出来事は、そこで起こってしまう。避けることも、巻き戻すこともできない。
そのとき、何かが残る。 言葉になる前の感触。誰かと分けあってしまった時間。うまく思い出せないのに、消えないもの。それは個人の内側に閉じず、場にとどまり、ゆっくりと重なりあっていく。
演劇とは、成功の芸術ではなく、失敗を共有する芸術だと思う。前橋でいま劇場をつくるということは、次第にひと色になっていく街のなかに、失敗しながらも消えきらない何かを、改めて残しつづける試みである。
「失敗しろ。もっとよく失敗しろ」(サミュエル・ベケット)
〈名前の由来〉
この場所のすぐ近く、かつてひとつの劇場があった。
東福寺参道の坂の東、『本町 天王屋敷 舞台』。前橋で最も古い、常設の舞台である。天明八年(1788年)、野天の劇場として立ち上がり、やがて屋根を得て、廻り舞台や花道を備えた。遠方からも多くの人びとがそこに集まり、時間をともにした。そして明治二十年、近隣の火災によって失われるまで、およそ百年。その場所は、町の芸能の中心であり続けた。
百年、つづいた場所。百年で、失われた場所。
『百劇』という名は、その百年目を、もう一度引き受けるためのものである。失われた劇場のつづきとして、ではない。同じものは、二度と立ち上がらない。ただ、かつて確かにあった——人が集まり、声を交わし、身体を震わせた時間。その気配に、もう一度触れてしまうために。
百の劇。それは数ではなく、終わりなく起こりつづける出来事の単位である。
「羅須地人協会」が生まれてからも、百年が過ぎた。土地に根ざし、人とともに生きるための場をつくろうとした、宮沢賢治の試み。『百劇』もまた、この場所に生きる人びとのために、小さく、しかし消えない場として在ろうと思う。
百年を数えるためではなく、百年を、これから起こしていくために。
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gallery / studio / residence
【ART : 寺藝 アートプロジェクト 2026】
前橋国際芸術祭 2026 地域協働プログラム
Maebashi Biennale 2026 Community Art Program
『建物人間』
THE-BUILD-ING HUMAN
皮 / 骨 / 臓 / 血 / 種
Skin / Bone / Organ / Blood / Seed
期 間 ‖ 2026年9月19日(土) - 12月20日(日)
場 所 ‖ 寺町藝術センター
建物は、人間によく似ている。
外界と接する皮膚があり、
身体を支える骨があり、
生命活動を担う内臓があり、
全身を巡る血がある。
寺町藝術センターとして再生されるこの築68年のビルもまた、一つの生命体です。
[つなぐ]
【ART : 寺藝 アートプロジェクト 2026】
前橋国際芸術祭 2026 地域協働プログラム
Maebashi Biennale 2026 Community Art Program
『建物人間』
THE-BUILD-ING HUMAN
皮 / 骨 / 臓 / 血 / 種
Skin / Bone / Organ / Blood / Seed
期 間 ‖ 2026年9月19日(土) - 12月20日(日)
場 所 ‖ 寺町藝術センター
建物は、人間によく似ている。
外界と接する皮膚があり、
身体を支える骨があり、
生命活動を担う内臓があり、
全身を巡る血がある。
寺町藝術センターとして再生されるこの築68年のビルもまた、一つの生命体です。
かつて編物学校として多くの人々を受け入れてきたこの建物は、改修の過程で、内部に眠っていた記憶や痕跡を少しずつ現しました。
『建物人間』
このプロジェクトは、その姿を一つの「からだ」として読み解く試みです。
建物は完成した瞬間から少しずつ姿を変え、朽ちはじめる。しかし、それは終わりではない。
取り外された部材や残された品々、そこで生まれた物語は、人から人へ受け渡され、新たな場所へ運ばれていく。
建物は、生きている。
そして朽ちながらも、少しずつ生まれ変わり続けている。
○ 「皮膚」 skin
場所 ‖ 寺町藝術センター / 1 階-4 階正面 28 枚の窓
時間 ‖ 終日 休館日 ‖ 無休 * 無料
作家 ‖ 日本施行家協会+前橋工科大学 阿部研究室
建物と街を隔て、そして結びつける境界。
一階から四階までの正面二十八枚の窓は、この建物が長年にわたり外界と接してきた「皮膚」。
光や風、人々の視線を受け止め続けてきたその表面に、この場所に積み重ねられた時間や記憶が静かに浮かび上がる。
○ 「骨」 bone
場所 ‖ 寺町藝術センター / 館内各所
時間 ‖ 10:00-18:00 (公開日限定)
作家 ‖ 日本施行家協会+前橋工科大学 阿部研究室
* 鑑賞には〈前橋国際芸術祭〉パスポートチケットの提示が必要です。
壁や天井の奥に隠されていた構造体。
解体によって現れた柱や梁は、人間の骨格のように建物を支え続けてきた。
普段は見えない存在だからこそ、その姿は、この生き物の生命を雄弁に物語っている。
○ 「内臓」 organ
場所 ‖ 寺町藝術センター / 3階
時間 ‖ 10:00-18:00 (公開日限定)
作家 ‖ 前橋工科大学 阿部研究室+クワクボリョウタ
* 鑑賞には〈前橋国際芸術祭〉パスポートチケットの提示が必要です。
築68年のビルに残された家具、建具、道具、紙片……。
建物に積み重なってきた記憶の断片を、複数の人たちと、並べ替え、組み替えながら、一つのインスタレーションとして公開。
展示は、人の手が加わるたびに少しずつ姿を変え、100日間をかけて更新され、その変化はホームページにアーカイブされていきます。
○ 「血」 blood
場所 ‖ 寺町藝術センター / 2階
時間 ‖ 10:00-18:00 休館日 ‖ 水曜日
作家 ‖ クワクボリョウタ+前橋工科大学 阿部研究室
* 鑑賞には〈前橋国際芸術祭〉パスポートチケットの提示が必要です。
電子デバイスを素材とする装置的作品や、光と影によるインスタレーションで知られるクワクボリョウタと、前橋工科大学 阿部研究室が、寺町藝術センターを舞台に作品を制作する。
三河町を歩き続けたリサーチから見えてきたのは、線路、アーケード、国道、水路など、街を形づくるさまざまな「境界」。
中心市街地と裏町の境に立つこの建物は、それらを結び、人や時間、記憶が行き交う「血管」のような存在として、新たな姿を現していく。
○ 「種」 seed
場所 ‖ 寺町藝術センター / 3階
時間 ‖ 10:00-18:00 (公開日限定)
作家 ‖ 前橋工科大学 阿部研究室
* 鑑賞には〈前橋国際芸術祭〉パスポートチケットの提示が必要です。
《襤褸襤褸市 / BOROBORO》 ・市とZINE制作
会期中、積み上げられた「記憶の断片」は《襤褸襤褸市》として販売。誰かの手へ渡るたび、展示は少しずつ姿を変え、建物の記憶はそれぞれの日常へと受け継がれていきます。
100日後。残された空っぽの場所には、新たな表現者たちが集い、次の創造が始まります。
建物の記憶は、失われるのではなく、人から人へ受け渡されながら、未来へと生まれ変わっていきます。
とまる
BnA noie / Snack [3 / SUN]
三河町が受け継いできた「アジール」の精神を礎に、
BnAが手がける「泊まることでアーティストを支援する」芸術複合施設《BnA noie》。
アートホテル、レジデンス、ギャラリー、スナックを備え、人が集い、
とまり、語り、新しい表現を育む場所です。
[とまる]
BnA noie
京都、日本橋、高円寺などで「泊まることでアーティストを支援する」アートホテルを展開してきた BnA が、『寺町藝術センター』に隣接する前橋・三河町の小さな三階建てのビルを引き継ぎ、新たな芸術複合施設《BnA noie》 を立ち上げます。
三本の川に囲まれ、城下町と繁華街の東隣に位置する三河町。ここは製糸業を支えた労働者や職人、旅芸人、そして戦後には焼け出された人びとなど、さまざまな背景を持つ人びとを受け入れてきた街です。流れ着き、とどまり、再び歩き出していく──その営みの記憶は、この街の地層のように今も静かに息づいています。
《BnA noie》は、その三河町に宿る「アジール(避難所)」の精神を受け継ぐ場所です。
人が集い、とまり、つくり、語り合う。完成した作品のためだけではなく、まだ形にならない時間や関係性、新しい表現が生まれる過程そのものに寄り添う、小さな創造の拠点です。
一階には、アーティストや俳優たちが日替わりで店に立つスナック「3 / SUN」 とギャラリー。二階には前橋・群馬ゆかりのアーティストによるコミッションワークを備えた、一日一組限定のアートホテル。三階には、当面の間、長期滞在者のためのレジデンスを設けます。
《BnA noie》は、街の片隅から、新しい「居場所」の風景を育てる小さな実験です。
誰かが安心して、とまれること。まだ名前のない未来が、ここで育つこと。
三河町が受け継いできた記憶とともに、この街に新しい灯りをともしていきます。
参加アーティスト
Tamm(コラージュ)|Yohta Matsuoka(絵画)|Hiroyuki Higuchi(絵画)|diff(内装)
ギャラリー(1階): 相澤安嗣志